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​民間機(旧)の世界

戦後の1952年に日本の航空活動が開始されてから60年余り。日本航空がわずか40席程度のマーチン202で国内線の運航を開始して以来、日本の空には数多くの個性的な旅客機たちが航跡を描いてきました。

ボーイング747、727、空の貴婦人と言われたDC-8や国産初の旅客機YS-11など。

​ここでは私がカメラと望遠レンズを揃えた1980年以降の写真を載せています(基本は所属基地のあった千歳空港)

​なお、すべて当時にフィルムからプリントしたものをスキャンして使用しています。

​マクダネルダグラスDC-8

ダグラスDC-8 千歳空港

ビートルズを日本に運んできたのがこの空の貴婦人と言われたDC-8だった!

​もっとも来日したのが1966年であるから・・・まだ小学校入学前であるため

どちらにもまだ興味がない頃である。

この写真は1983年ころの千歳空港で、千歳基地の2空団ではF-4EJファントムやF-104スターファイター(通称マルヨン)が飛んでいた時代です。

独特の金属音がするこのDC-8は4発ジェットで、世界で初めて超音速で飛行した旅客機でもあった(もちろん水平飛行ではなく試験的な急降下によるもの)

個人的にも美しい機体だったけれど、やはりその騒音とナローボディと言われた

機体の細さによる座席数の少なさから次の世代の航空機へと引き継がれていきます

​これがジェット旅客機の第一世代であり、この後はワイドボディ機へと移行していきます。

​マクダネルダグラスDC-10

​ワイドボディL-1011 トライスターとの競合の時代!!

空の旅が一般市民にも楽しめるようになり、大量輸送に対応できるワイドボディ(エアバス)という機体が開花する時代です。

このDC-10は、ダグラス社がジャンボ機よりやや少ない300席前後の旅客機として開発したもので、国内線・国際線で使用していました。両翼にエンジンを1基ずつ、垂直尾翼の下に1基搭載した3発エンジンが特徴。

全日空が使用していた、ライバルのL-1011トライスターに似た形状になっていますが、こちらは垂直尾翼に串刺しにしたような第2エンジンが特徴です。

JALでは2005年10月31日をもって退役

​ボーイング747(ジャンボ)

ボーイング747SR ジャンボジェット

​その巨大さからジャンボジェットと呼ばれ愛された機体で、いまでも日本では政府専用機としてB747-400という機体が使われています。

やはりその特徴は、2階建てとして機首部分に客席を設けたその独特のフォルム

でしょう。1階機内は2本の通路を設けて左右と中央に座席を設けてあり、500名以上の乗客を搭載出来るワイドボディ時代の幕を開いたといえるでしょう。

​一回のフライトで、たくさんの乗客を運べるということで、そのために安価な海外旅行の原動力となり、航続距離も1万~1万5千メートルと東京から北米への直行も可能となった。

巨大な4発のエンジンは3基が止まったとしても飛行が可能であり、当時の最新の安全技術を取り入れたものであった。

​大阪国際空港(伊丹)にて撮影

​ボーイング727

​全日空が初めて導入したジェット機で,ストレッチタイプ(胴体を伸ばしたタイプ)のボーイング727-200と合わせると、30年近くも全日空で活躍した、高度成長時代の主力機でした。

3発のリアエンジンとT字尾翼、そしてナローボディのスマートな機体で大きな頼りがいのあるジャンボジェットと違って、また別の男の子の心をくすぐる、いわゆる「カッコイイ」機体でしたね。

​ただ・・・燃費が悪いのと騒音がひどかったという評判はついて回りました。

国内でのフライトが主であったため、どこでも見られたベストセラー機というイメージで、全日空が43機 日本航空が20機保有していた。

全日空では1990年4月27日の山形~羽田のフライトで全機が退役した。

​ロッキードL-1011トライスター

​大量輸送時代を迎えて導入された、エンジンの形状からオリオン座の「3つ星」という名前のついた大型の3発ジェット機です。これはロッキード社が伝統的に星や星座などに由来する名前を付けていたことによるもの。

エンジンの配置はDC-10に似ているが、ベストセラー機になることもなく、250機しか生産されず、このトライスターをもってロッキードは民間航空機市場から撤退した・・・

日本では全日空が初のワイドボディ旅客機として1974年から導入し、全日空初の国際線定期便に起用され、最盛期には21機を保有したが、より輸送量や航続距離が大きいボーイング747や効率のいいボーイング767に押し出される形で、1995年に退役した。

​日本航空機製造 YS-11

日本近距離航空 ANK YS-11

​日本が1960年代・・・第2次世界大戦後に官民出資の特殊法人である日本航空機製造株式会社(NAMC)が初めて作った、ターボプロップ双発の旅客機です。

​民間機や海上保安庁ではすでに退役しているが、航空自衛隊では1965年から輸送機として導入ししたあと、各種用途に改造された後、主要装備品としてまだ現役で使用しています。私も東亜国内航空と現役航空自衛官だったころに乗ったことがありますが、レシプロ機らしい非常に柔らかい乗り心地であり、ラダーで方向を変えるときに「キュッキュッ」という感じで動くのが良かったですね。

​写真は札幌にある丘珠空港から離陸するANKエアー(日本近距離航空)

​ダグラスDC-9/MD80/90

東亜国内航空 TDA YS-11 DC-9

ダグラス社がマクドネルやボーイングと合併したことにより名称が変更されているのも、この時代を反映しているなぁ~と感じさせます。

それだけに、これ以降は旅客機生産はボーイングの独り勝ちになってしまって、個性的な機体が多かった時代が懐かしく感じるのは年を取ったせいでしょうか?

​このDC-9は1965年に初飛行!70~90席程度の双発の小型ジェット機として開発されボーイング727を凌ぐベストセラー機として、派生型も多数生産され

ました。

数回乗ったことがありますが、離陸時の加速感がとても良かったと記憶しています

MD-90シリーズにおいては、当時の日本エアシステムが1995年から導入し、黒澤明のデザインした7パターンのレインボー塗装が話題になりましたが、日本航空との経営統合により2003年から順次、白を基調に尾翼に赤のJALグループの塗装に塗り替えられました。

​エアバスA300-600R

東亜国内航空 TDA A-300

​まだ定期便になる前に千歳空港にテスト飛来した東亜国内航空(後の日本エアシステム)、空の女王と言われたエアバスA300-600Rで1981年の写真です。

初のヨーロピアンワイドボディとして日本に導入されたことで、ワクワクしながら空港まで写真撮影に行きました(といっても、この頃は千歳市在住でしたが)

久しぶりにこのA300の写真を見ると、メインギア(主脚)が長いこと・・・

​エアバスというのは、気軽に乗れるバスのような旅客機という意味で、ヨーロッパの航空機メーカーが国際共同開発という体制をとり、企業連合エアバス・インダストリーを設立し、世界初の双発エンジンによるワイドボディ旅客機のA300を開発し、この600シリーズは当時の最先端であるグラスコクピットといわれる液晶画面の採用と2人乗務のコクピットとなった。

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